アントンパールの100年

一世紀:Great people | Great instruments

「アントンパール」のサクセスストーリーは、アントン・パールがたった1人で修理工場を始めた1922年1月4日に遡ります。当時、このたった1人の修理工場が、現在4,400人以上の従業員を抱えるグローバル企業になるとは想像もできなかったでしょう。

このサクセスストーリーの背後にあるものは何でしょうか?

それは、当社が卓越したクラフトマンシップと最高の精度で製造している機器の類を見ない品質だけではありません。何よりも、熱意、好奇心、そしてコミットメントを持って仕事に取り組むのは、アントンパールの社員たちです。 

アントンパールは、考えられないことを考え、特別なものを生み出します。1922年の創業以来、毎日を新たな気持ちで過ごしています。

当社は次の章に向けて準備し、次の100年に胸を高鳴らせています。

2人のパイオニア、1つの情熱

アントンパールグループの礎となるのは、マイスター機械工だったアントン・パールが1922年にたった1人で始めた修理工場です。アントン・パールは、パン屋と肉屋で使用されていた機械の修理を専門とし、その分野で瞬く間に高い評価を獲得し、さらには大学やさまざまな研究機関と連絡を取り合うようになりました。

1920年代に父の指導を受けたアントン・パールの娘マルガレータ・プラッツァーは、1932年、シュタイアーマルク州初の女性マイスター機械工として父親の築いた分野に足を踏み入れました。彼女の機械工としての特に優れた能力と、精密機器の製造における類まれな技能がオットー・クラツキー教授の知識と結び付き、アントンパール最初の科学的分析装置である「クラツキー小角X線カメラ」が開発されました。このカメラは、この種のものとしては、今もなお最も幅広く使用されている計測システムです。

革新的な精神が基盤

1963年にマルガレータ・プラッツァーの義理の息子であるウルリッヒ・ザントナーが会社の経営を引き継ぎました。革新的な精神を持っていた彼は、測定技術分野における当社のその後の発展の基礎を築きました。ウルリッヒ・ザントナーは大学や研究機関との結びつきをさらに強め、研究により得られた最新技術を産業に活用するシステムを確立しました。真の国際人であった彼は、自身が築いた国際的な人脈を活かし、世界の市場にさまざまな革新的製品を送り出しました。CEO時代には、約20人だった従業員が460人に増え、年間売上高は約30万ユーロから3,600万ユーロに増加しました。

世界規模のネットワーク

アントンパール社は、CEOフリードリヒ・ザントナーのもと、グローバル企業へと躍進しました。1997年、フリードリヒは、義理の父ウルリッヒ・ザントナーのいるアントンパール社の経営陣に加わり、2002年以降はCEOを務めました。当初から世界規模のセールスを管理する系列企業の設立を重視していた彼のリーダーシップのもと、当社はセールスとサービスのための系列企業を新たに設立し、補完的な測定技術を有する複数の企業を買収してきました。アントンパール社は研究開発を重視しており、さまざまな測定技術分野における世界的リーダーの地位をさらに拡大、強化できるよう、売上高の約14.5 %を研究開発に投資しています。フリードリヒ・ザントナーがCEOを務めた期間に、売上高は20倍に成長し、従業員数も約280人から4400人を超えるまでに増加しました。

ザントナー基金

2003年、アントンパールの前所有者が取消不能な形で所有権を放棄し、アントンパールは、慈善団体であるザントナー基金に寄付されました。会社から基金に入る収益は慈善目的にのみ使用されることになっています。